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名古屋地方裁判所 昭和59年(ワ)2130号 判決 1989年5月29日

原告

牧野一郎

牧野美雪

牧野勇

牧野千明

右四名訴訟代理人弁護士

加藤猛

被告

日本赤十字社

右代表者社長

林敬三

右訴訟代理人弁護士

饗庭忠男

成田清

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告牧野一郎に対し、金二四二六万円、同牧野美雪、同牧野勇及び同牧野千明に対し、各金八〇八万円及びこれらに対する昭和五九年七月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

訴外亡牧野和子(以下「和子」という。)は、昭和五八年六月一六日から昭和五八年一二月二二日まで、名古屋市内の愛知県立城山病院(以下「城山病院」という。)において、看護婦として稼動していたものであり、原告牧野一郎は和子の夫、原告牧野美雪、同牧野勇及び同牧野千明は、それぞれ原告牧野一郎と和子との間の長女、長男、二女であり、被告は名古屋市昭和区内において名古屋第二赤十字病院(以下「被告病院」という。)を開設し、被告病院を管理、運営する法人である。

2  事実の経過

(一) 和子は、昭和五八年一月、上腹部ないし季肋部に痛みを感じたため、同月三一日、被告病院を来院し、同日、被告との間で、右痛みの原因の診断及び治療を目的とする診療契約を締結した。

(二) 被告病院は、昭和五八年一月三一日から同年三月二日までの間、数回に亘って和子に対し、問診、触診、血液検査、腹部及び胸部のレントゲン撮影、胆のう、肝臓及びひ臓の超音波診断(いわゆる「エコー」。以下「エコー」という。)コンピューター断層撮影(いわゆる「CTスキャン」以下「CTスキャン」という。)などをそれぞれ実施し、右各診断に基づき、被告病院の消化器内科医師である訴外折戸悦朗(以下「折戸医師」という。)は、同日、和子に対し、和子の病気は悪性胆のう腫瘍すなわち胆のう癌(以下「胆のう癌」という。)と診断し、直ちに入院し、手術を要すると判断し、しからずとするも胆のう癌の疑いが強く、直ちに入院し、確定診断のための検査をし、その結果、胆のう癌であれば、直ちに手術を要すると診断したが、その病名を偽って、単なる胆石症と告げて手術を勧めたに過ぎなかった。

(三) 和子は、自己の病気が胆石症と告げられて誤信して安心し、右(二)のとおり折戸医師から手術を勧められたものの、胆石症であれば、直ちに手術を受けなければ生命にかかわるという訳でもないため、折戸医師の了解を得て、被告病院に入院せず、昭和五八年三月二二日から同月二八日までの間、シンガポールへ旅行するなどし、以後も痛みを感じることがなかったため、被告病院の診療、手術を受けずにいたところ、同年六月八日、激痛のため勤務先の城山病院で倒れ、同月九日、名古屋市内の愛知県がんセンター(以下「がんセンター」という。)に転院した。

(四) がんセンターでは、病気は胆のう癌であり、直ちに手術を要すると診断し、和子の身体が手術に耐えられるか否かを各種検査により慎重に判断したうえ、昭和五八年七月二五日手術を施行したが、腫瘍は胆のう頸部、胆のう床側を中心に胆管にも及んで、既に手遅れで、開腹したのみで手術を終了し、以後、治療の仕様もなく、和子は、同年一二月二二日、死亡した。

3  帰責事由

被告は、和子との間の診療契約に基づき、和子の病気が何であるかを解明するとともに、和子に対し、解明した病気を正確かつ具体的に説明し、あるいは、和子に対し、直接に、右診断結果を説明するのは相当でないと判断した場合には、原告ら、和子の家族に説明し、更に、和子の解明された病気に対し、時宜を得た適切な治療をなすべき債務を負担していたものであるところ、

(一) 折戸医師は、和子の病気を胆のう癌と診断し、直ちにその手術を要するものと診断したのであるから、和子にそれを正確に伝え、仮に、和子に胆のう癌であることを伝えるのは相当でないと判断した場合には、次回は夫である原告牧野一郎と一緒に来院するようにと指示し、夫に説明すれば前記債務を履行でき、和子に対し、適切な処置をなし得たのにそのような指示もせず、それどころか、和子には全く異なる胆石症なる病名を告げ、和子をして手術の必要性、緊急性に対する判断を誤らせ、手術を受けることなく経過させた。

(二) 仮に、折戸医師が、和子の病気を胆のう癌と診断するまでに至らなかったとしても、胆のう癌を強く疑い、同女を直ちに入院させ、確定診断及び手術の可否を検討したうえ、早急にその手術をする必要があり、入院は、専ら早急に手術をなすためと診断したのであるから、和子に対し、胆のう癌が強く疑われるので直ちに入院し、胆のう癌と診断されれば直ちに手術をする必要がある旨説明し、仮に、和子に胆のう癌の疑いがあるということを伝えるのは相当でないと判断した場合には、次回は夫と一緒に来院するようにと指示し、夫に説明すれば前記債務を履行でき、和子に対し、適切な処置をなし得たのにそのような指示もせず、それどころか、和子には全く異なる胆石症なる病名を告げ和子をして手術の必要性、緊急性に対する判断を誤らせ、手術を受けることなく経過させた。

4  因果関係

被告が折戸医師をして前記債務を履行していれば、和子は、自分の病気が胆のう癌あるいはその疑いが強いものであると理解し、直ちに入院し、手術を受けていたはずであるし、あるいは原告牧野一郎において手術を受けさせるべく対処したはずである。そして、その時点で肝右葉を切除する手術を受ければ、完全に治癒したものである。仮に、完全に治癒することが困難であったとしても、相当程度生存することは可能であったのであるから、被告の債務不履行と和子が死亡したことあるいはその死期を早めたこととの間には因果関係が認められる。

5  損害

(一) 和子の損害

(1) 逸失利益 三三五二万二七五二円

(イ) 和子は、昭和八年六月三日生れの女性で死亡当時、満五〇歳であり、がんセンターに入院するまで、城山病院に勤務し、年間五一五万五四五九円の給与所得を得ており、城山病院において満六〇歳の定年退職するまで稼働し、更に右定年退職後は、再就職して、従前の年間所得の七〇パーセントを取得したうえ、六七歳まで稼働することができたはずであり生活費の割合を所得の四〇パーセントとして、新ホフマン方式(五〇歳から六〇歳までの一〇年間の係数7.9449、六〇歳から六七歳までの七年間の係数4.1320)により中間利息をそれぞれ控除して、右死亡当時の逸失利益を算出すると三三五二万二七五二円となる。

(515万5419×0.6×7.9449)+(515万5419×0.7×0.6×4.1320)=3352万2752

(ロ) 仮に、完全治癒することが困難であったとしても、少くとも和子は五年間は生存し得たものであるから、生活費を所得の四〇パーセントとして、右死亡当時の逸失利益を算出すると一五四六万六三七七円となる。

515万5459×0.6×5=1546万6377

(2) 慰藉料 一五〇〇万円

(二) 原告らの相続

原告牧野一郎は、右(一)の損害賠償請求権の二分の一((1)(イ)と(2)の各二分の一の合計二四二六万一三七六円しからずとするも(1)(ロ)と(2)の各二分の一の合計一五二三万三一八八円)を、その余の原告らは各六分の一((1)(イ)と(2)の各六分の一の合計八〇八万七一二五円しからずとするも(1)(ロ)と(2)との合計五〇七万七七二九円)をそれぞれ相続した。

よって、原告らが相続により取得した和子の被告に対する債務不履行による損害賠償請求権に基づき、被告に対し、原告牧野一郎は、二四二六万一三七六円の内金二四二六万円しからずとするも一五二三万三一八八円、その余の原告らは、各八〇八万七一二五円の内金各八〇八万円しからずとするも各五〇七万七七二九円及びこれらに対する本訴状送達の日の翌日である昭和五九年七月二一日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を各求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実のうち、和子が看護婦であることは不知、その余の事実は認める。

2(一)  同2の(一)の事実は認める。

(二)  同2の(二)の事実のうち、被告病院が、和子に対し、原告主張の期間に各診断を実施したこと及び折戸医師が昭和五八年三月二日、和子の病気について胆のう癌の疑いを強くもったことは認め、その余は否認する。

折戸医師は、昭和五八年三月二日、同日までのエコー及びCTスキャンの各診断の報告で「胆のう癌の疑い」との結果がでていたため、もう一度初診からの問診・触診・血液検査、そしてエコー及びCTスキャンの各写真をよく検討し、胆のう癌を疑ったが、この時点では疑いの域を越えずその他の疾患の可能性も有り得たので、入院のうえ諸検査・診断を実施して確定診断をなし、治療方針を決定するため、和子に対し、「重症の胆石症であり、早急に手術を要する」と説明し、同日中に入院予約手続をするよう勧めたが、和子はこれに応ぜず、折戸医師の再三の説得により同年三月一六日の来院時には必ず入院予約をとる旨約束させて帰宅させた。そして、和子は、同年三月一六日の来院時に入院予約をなしたが、二、三日後、電話にて右予約を取り消し、それ以後、来院しなくなったものである。

(三)  同2の(三)の事実のうち、折戸医師が、和子に対し、シンガポールへの旅行の了解を与えたことは否認し、被告病院の診療、手術を受けなかったことは認めるが、その余の事実は不知。

(四)  同2の(四)の事実はすべて不知。

3(一)  同3の冒頭の主張のうち、和子と被告との間の診療契約が、和子の病気が何であるかを解明すること、解明した病気に対し、時宜を得た適切な治療をなすべき債務を内容とすることは認め、その余の主張は争う。

(二)  同3の(一)の事実のうち、折戸医師が、和子に対し、胆石症であることを告げたことは認めるが、同医師が和子の病気を胆のう癌と診断し、直ちに手術を要するものと診断したことは否認し、主張は争う。

昭和五八年三月二日の時点では、胆のう癌は疑いの域を超えず、胆のう癌において病巣から癌細胞を見い出す以外の確定診断はないため、入院のうえ、患者の身体への侵襲が強く、負担が大きい点滴静注胆道造影(DIC)内視鏡的胆管造影(ERCP)、経皮経肝胆道造影(PTC)、血管造影などの精密検査を行ったうえ、胆のう癌か否かを鑑別したうえ、耐術能の有無を判定し、手術可能とすれば術式の検討がなされるのであるが、これらの多くの検査方法を駆使しても、術前に正しい判断を下すことは難しく、ましてやこれらの経過を踏まえることなく、通院中に撮影したCTスキャンとエコーによる診断のみで手術実施を決定できるものではない。

(三)  同3の(二)の事実のうち、折戸医師が、和子の病気を胆のう癌と強く疑い、同女を直ちに入院させる必要があると判断したことは認め、その余は否認し、主張は争う。

入院の目的は、和子の病気が胆のう癌か否かの鑑別、耐術能の有無の判断、手術可能とすればその術式の検討を目的とするものであり、胆のう癌の手術の実施を目的とするものではない。

(四)  和子の胆のう癌は予後の悪い進行癌であり、患者に対しては説明義務を負うものではなく、折戸医師が和子に対して、胆石が相当変形し、重症であるから速やかに入院して欲しい旨説明しており、右説明が胆のう癌が疑われている患者に対し、入院のうえ精査することを説得する説明としては一般的で妥当なものであり、和子は右説得に応じて入院する際、同道した家族から家族関係を聞きだし、誰れに話をするのが適当であるか調査して、家族に対して説明をなし得るものであり、和子が右説得に応じないで被告病院に来院しないのは、患者側の責任であり、被告は何ら責任を負うものではない。

4  同4の事実は否認し、主張は争う。

仮に、被告に債務不履行があったとしても、和子の胆のう病変は、被告病院受診中の時点で、既に予後の悪い進行癌であった。腫瘍自体も大きく、胆のう壁を越えて肝臓への直接浸潤を呈していた可能性が高く、被告病院の指示どおり入院して検査・治療を行ったとしても治癒させることは到底不可能であり、手術的治療を行っても完治することはもちろん、延命できる可能性がなかったことは明らかであり、和子の死亡との因果関係はない。

5  同5の事実は不知、主張は争う。

仮に、和子が、被告病院で手術を受けていたとしても、前記のとおり延命の可能性はないし、職場への復帰は不可能と考えられるから、和子の損害として逸失利益を請求する部分は争い、その余は不知。

三  抗弁

仮に、何らかの延命利益を失わせたことにつき被告に帰責事由が存在したとしても、和子には、折戸医師が入院の必要性についてなした真摯な説明を無視し、一旦なした入院予約手続を一方的に取り消した過失があり、大幅な過失相殺は免れない。

四  抗弁に対する原告らの認否

抗弁事実は否認し、主張は争う。

第三  証拠関係<省略>

理由

一請求原因1の事実のうち、和子が看護婦であったことは原告牧野一郎本人尋問の結果によって認めることができ、その余の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二そこで、同2の事実について検討する。

1  同2(一)の事実、被告病院が、和子に対し、昭和五八年一月三一日から同年三月二日までの間、数回に亘って、同2(二)の原告主張の各診断をなしたこと、折戸医師が、同日、和子の病気が胆のう癌であることを強く疑ったこと及び胆石である旨告げたこと、和子が同月二八日以降、被告病院の診療、手術を受けなかったことはいずれも当事者間に争いがない。

2  以上の争いない事実に<証拠>を総合すること、

(一)  和子は昭和五〇年六月一六日以降、城山病院において、看護婦として稼働していたものであるところ、昭和五八年一月下旬ころ、上腹部ないし右季肋部に痛みを感じたため、同月三一日、被告病院に来院し、和子と被告とは右痛みの原因の診断及びその治療を目的とする診療契約を締結し、同日、被告病院の初診の外来患者を扱う一般内科の訴外村島謙医師(以下「村島医師」という。)の診察を受け、心窩部ないし右季肋部にあたる右上腹部にかけて痛みが出て来たこと、その痛みは自分で腹をおさえると背中に響くが、食事をとったりすることで痛みが強くなったり弱くなったりすることはないこと、黄疸は出たことがなく、便も黒色ではないこと、食事は普通であり、睡眠は良好であること、便は一日一回であること、既往歴として、虫垂切除術と急性腎炎があること、血圧は水銀柱一一〇ミリメートルから同八〇ミリメートルで正常であること、眼瞼結膜には著明な貧血や明らかな黄疸はなく、頸部のリンパ節の腫張もないこと、聴診では心雑音はなく、肺呼吸雑音もないが、やや右肺の呼吸音が弱いようであること、肝臓が一横指分腫大しており、右上腹部を圧迫すると圧痛がみられ、しかも深呼吸させるとこの圧痛が増強すること、その他の腹部は柔らかでかつ平担であること、四肢に浮腫はないことが認められた。以上の問診、触診などから、村島医師は、和子の一番頻度の高い疾患として胆石症を疑い、同日、胸部及び腹部のレントゲン撮影、肝・腎機能を中心にした総合血液セット検査、耳血検査を施行し、肝、胆のう、膵臓各部のエコーを同年二月九日に行うこととし、和子に対し、右エコーのため同月九日及びその結果が判明する同月一〇日に来院するよう指示し、エコーの前処置用として、ガスコン(消泡剤)を一日六錠、ベリチーム(消化剤)を一日三グラムをそれぞれ検査の前三日間、毎食後三回服用するよう指示して処方し、投薬としてセスデン(鎮痙剤)六カプセル、マーズレンS(胃腸薬)三グラムをそれぞれ毎食後三回、一〇日分処方した。

(二)  和子は、昭和五八年二月九日、被告病院へ来院し、放射線科の伴野医師によるエコーを受け、右検査結果を診断した放射線科の訴外遠山医師は、胆のうは著明に腫大していること、胆のう頸部の壁が部分的に著明に肥厚しているが、胆のう底部の壁は滑らかで、肥厚はみられないこと、胆石は見られないこと、胆のうを越えて腫瘍が進展する所見は得られなかったこと、肝臓の所見としては肝腫大は(一)で、肝内の腫瘍はないこと、膵臓は正常であることを認め、和子には胆のう癌の疑いがあると診断した。

(三)  和子は、約束した昭和五八年二月一〇日には被告病院を来院しなかったものの、同月一四日、被告病院に行き、訴外宮井宏暢医師の診察を受け、同医師は、放射線科診断報告書に「胆のう腫瘍の疑い」との記載があったため、さらに、同月二八日に腹部CTスキャンをすることとし、CTスキャンの時に造影剤を用いるかもしれないので、あらかじめヨード過敏の有無についてテスト液一ミリリットルを静注して調べたが陰性であった。また、前処置用に検査前三日分のガスコンと消化剤(7E)を処方するとともに、セスデンとマーズレンSを二週間分処方し、同月二八日のCTスキャン後、その結果を消化器内科で聞くよう指示して同月一四日の診察を終えた。

(四)  和子は、昭和五八年二月二八日、被告病院を訪れ、遠山医師により、腹部単純CTスキャンとアンギオグラフィン(造影剤)によるCTスキャンを受け、同医師は、右CTスキャンの結果、胆のう頸部付近の壁が部分的に肥厚し、造影にて不均一にわずかに影が増強されるが、肝、脾は正常、印象として胆のう癌と診断した。

(五)  和子は、昭和五八年三月二日、被告病院の消化器内科を受診し、折戸医師の診察を受けた。折戸医師は、初診からの病歴、同年一月三一日の血液検査の結果、それまでに行われたエコーによれば、胆のうはかなり肥大しており、胆のう頸部から体部にかけて肝臓と胆のうが接する側に、長径約九センチメートル、短径約2.4センチメートルの内腔に向かってやや凸型で正常胆のう壁となだらかに接した塊状影が見られ、腫瘍塊は胆のう頸部内腔を完全に充満させ、肝臓との境界は不明瞭で連続していたこと、腹部CTスキャンによれば、胆のうは腫大し、胆のう頸部から体部を中心に不整形の塊状影がみられ、特に頸部で肝臓と胆のうの境界が不明瞭となり、肝臓への直接浸潤を疑わせたことから予後の悪い胆のう進行癌を強く疑ったが、場合によっては、慢性または急性胆のう炎による炎症産物の沈澱あるいは良性腫瘍も考えられたため、和子を入院させたうえ、精密な検査、診断をなし、胆のう癌であるかどうかを確定診断し、諸検査の結果を踏まえて治療方針を決定する必要があると判断し、和子に対し、入院させて精密検査を受けさせるため、「胆石がひどく、胆のうも変形していて早急に手術が必要です。すぐ入院予約手続をして下さい。」と説明したが、和子は、同年三月二二日から同月二八日までシンガポール旅行へ行く予定で既にパスポートもとり、旅行業者に代金も支払ってあること、仕事の都合がつかないこと、家庭の事情からも入院できないことを理由に、この日に入院予約手続を取ることを拒否した。これに対して、折戸医師は、和子を入院させるべく粘り強く説得したが、なかなか同女の承諾を得られず、結局、同女から、旅行から帰り次第入院する旨述べられたので、折戸医師としても、やむを得ず、同意した。そして、旅行に行く前に入院予約手続をさせるべく、同年三月一六日に来院することを約束させ、同日に必ず来院させるために、鎮痙剤(コスパノン)と7Eを各六錠、一日三回、二週間分を処方して診察を終えた。

(六)  和子は、昭和五八年三月一六日、被告病院の消化器内科を受診し、再度、折戸医師の診察を受け、同年四月一一日以降に速かに入院する旨の予約手続をなしたが、同年三月一八日ころ、被告病院の消化器内科の訴外久賀尚子看護助手に対し、家庭の事情で入院を延期したい旨架電し、以後、被告病院へ来院せず、また、何の連絡もしなかった。

(七)  和子は、昭和五八年三月二二日から同月二八日までの間シンガポールへ旅行に行き、帰って来てからも、別段体調に変化もなく、通常の生活を過ごしていたため、医師の診断を受けずにいたところ、同年六月八日、勤務先の城山病院で倒れ、同日、城山病院に入院し、翌同月九日、がんセンター第一内科へ転院した。がんセンターでは、同月一〇日、腹部エコーで胆のう癌と、一応、診断し、手術可能か否かにつき、CTスキャン、内視鏡的胆管造影検査(ERCP)、などの検査を順次実施し、同月一五日、血管造影検査を行った後、胆のう癌の肝臓直接浸潤と診断し、総合診断のうえ、拡大肝右葉切除の手術を行うことを試みることに決定した。同年七月二五日、手術を行い、開腹したが、腫瘍は胆のう頸部、胆のう床側を中心に胆管にも及び、総胆管を切開して出てきた腫瘍を病理学的に検索して、胆のう癌であることを確定診断したものの、根治的切除不可能と判断し、拡大肝右葉切除の手術を行わず、胆汁性の腹膜炎を防止するためTチューブをドレナージするだけで終了し、以後は、化学療法、免疫療法、放射線療法に終始し、同年一二月二二日、和子は、胆のう癌で死亡した。

(八)  ところで、胆のう癌は、その発生率は六〇歳代が最も多く、比較的に高齢者に多く、しかも女性の羅患率は男性のそれに比べて二倍であり、その診断及び検査方法は、外来患者については、患者の身体への侵襲が少ないエコー、CTスキャンが一般的に行われているが、これらの検査では胆のう粘膜層、粘膜下層、筋層、漿膜下層内のロキスタスキーアショップ洞(RAS)までに生じる早期癌では胆石症を合併していることが多いため、胆石症あるいは胆のう炎との鑑別が困難であり、漿膜下層、漿膜及びそれ以上に浸潤する進行癌においてもその疑いはもつものの、進行の程度、切除手術の可否を含む確定診断を下すことは難しく、更に入院のうえ、経口胆のう造影検査(POC)、更には患者の身体への侵襲を伴う内視鏡的胆管造影検査(ERCP)、点滴静注胆道造影検査(DIC)、経皮経肝胆道造影検査(PTC)、血管造影検査などの諸検査により総合的に診断を下し、手術の可否を判断するものの、術前に正しい診断を下すことは難しく、胆のう癌のうち、三〇パーセント前後の確率にすぎず、七〇パーセント前後は胆のう手術の病巣診断あるいはその病理学的検査を経て確定診断をなし得るもので、その予後も、早期癌の予後はよく、五年生存率は一〇〇パーセントであるのに対し、進行癌では切除手術を行っても、三年生存率は約一〇パーセントないし三〇パーセントに過ぎないものと認められる。

以上の事実が認められ<る>。

三そこで、更に、請求原因3について検討する。

1  ところで、被告は、和子との間の診療契約に基づき、和子の病気の原因及び病状を解明すること、解明された病状に対し、時宜を得た適切な治療をなすべき債務を負担したことは被告も認めており、原告が主張する、医師が患者に対し解明した病気を正確かつ具体的に説明する義務は、一般的な診療契約において、患者あるいはその家族などに対し、病気の内容、これに対する治療方法、期待される治療効果を具体的に説明することは、患者が治療に関する自己決定権を有することから、医師の診療契約上の債務の一内容ということができるが、医師が右義務を尽すにあたっての説明相手、説明時期、説明内容及び説明程度については右説明が治療に対して影響を与えることから、病状の内容、程度に応じて医師が判断することが相当であり、原則として患者の右権利を侵害しない限度において、医師の裁量の範囲内にあるというべく、特に不治ないし難治疾患については、患者に与える精神的打撃を配慮する慎重さが望まれるというべきである。

2  そこで(一)について考えるに、前項の事実関係によれば、折戸医師は和子の病気が肝臓への浸潤を疑わせる胆のう癌であると強く疑ってはいたものの、エコー、CTスキャンの各診断だけで右確定診断をすることはできないのであるから、胆のう癌であると確定診断したことまでは認められず、右確定診断をなしたことを前提とする原告の主張は認めることができない。

3  次に、(二)について検討する。

(一)  前項で認定した事実関係によれば、折戸医師が、昭和五八年三月二日の段階で和子の病気を予後の悪い胆のう癌の疑いが強く、同女を直ちに入院させる必要があると判断したこと、和子に入院を勧めるに際し、胆のう癌が強く疑われるにもかかわらず、重症の胆石症であるから入院し、手術を受ける必要がある旨説明したことが認められるが、折戸医師が和子の病気について手術は予測したものの、早急にこれをなすべきであると診断したことまでは認められない。

(二)  ところで、前述したとおり、折戸医師が強い疑いを持った和子の胆のう癌は進行癌で予後が極めて不良であり、医師のなす説明については、その相手方、時期、内容などについて慎重な配慮が必要であり、また<証拠>はいずれもこれを患者に告知することは患者に対して精神的打撃を与え、治療に悪影響を与えることから、患者に対しては癌であることを説明していない旨証言しており、患者に対し、胆のう癌である旨説明することは我国の医学界の一般的見解であるとはいえず、ましてや主たる診断がエコー及びCTスキャンだけの段階で患者に対し胆のう癌の疑いがある旨説明する法的義務が医師にあるとはいえず、むしろ相当ではないと考えられ、前項で認定した事実関係によれば、折戸医師は内視鏡胆管造影検査(ERCP)など精密検査を行うための入院の説得として、胆のうも変形して、手術が必要な重症の胆石症である旨説明しているが、重症の胆石症の場合であっても放置しておけば生命に危険が生ずることがあり、一般人であれば、医師から入院手術の必要性があるといわれれば速やかにそれに従い入院するのが通常であり、主たる診断としてエコー及びCTスキャンをなしただけの段階での入院を説得する説明としては不相当とはいえず、<証拠>においても胆のう癌が疑われる患者に対し、精密検査のため入院を説得する際の説明としては相当である旨の証言がある。

(三)  また、<証拠>によれば、予後の悪い胆のう癌については患者自身はともかく、患者の家族に対して、その旨を説明する必要は認められるが、その説明相手及び説明時期について慎重な配慮が必要であるところ、<証拠>によれば、折戸医師が和子を診断した段階では、和子の家庭環境、家族構成などについてほとんど知識はなく、また主たる診断としてエコー及びCTスキャンをなしただけの段階であるので、先ず和子を入院させて精密検査を行ったうえ、説明相手として適した家族に説明する予定であったことが認められ、折戸医師の右判断は和子の病気が予後の非常に悪い胆のう癌であることからすると相当ではないとはいえず、むしろ<証拠>によれば、がんセンターにおいても、和子が昭和五八年六月八日に入院してエコー、CTスキャン、内視鏡的胆管造影検査及び血管造影検査をなしたうえ、同年七月一四日以前は和子の夫から、数回、和子の病気を尋ねられても説明せず、同日になって、夫及び娘に対し、和子の病気が九分九厘の確率で胆のう癌である旨説明したことが認められ、右事実に照らすと、折戸医師の右判断は適切であったともいうことができ、更に前項で認定した事実関係によれば、和子が、同年三月一六日、折戸医師の説得に応じて入院の決意をし、入院の予約をしたのであるから、この段階で折戸医師が、和子に対し、入院予約を取り付けたうえ、更に夫と一緒に来院するよう指示し、夫に対し、和子に胆のう癌の疑いがあることを告げて入院を説得させる必要もなかったことは明らかである。なお、和子が折戸医師に入院を勧められ、入院予約をしたにもかかわらず、後に、電話で一方的に入院予約を取り消して、被告病院を訪れなくなったことは、和子の責任というべきであり、被告病院の診断、折戸医師の右判断及び和子に対する説得からして、それ以上の処置をなすべき法的義務は被告にはないというべきである。

(四)  したがって、他に主張、立証がない以上、被告が、和子に対し、診療契約上の債務不履行の責任を負うことは認められない。

四以上の検討の結果によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告らの本訴請求はいずれも理由がないからこれらを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条・九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官小松峻 裁判官深沢茂之 裁判長裁判官伊藤邦晴は、転補につき、署名捺印できない。裁判官小松峻)

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